バイバイ、G。またね・・・。
少し前、チビスケGとの介護生活が終わりました。
向こう10年くらい、そんな日々が続いて、自分の50代はGの介護に明け暮れる日々なんだろうな~と思っていました。
でも、そう思っていた生活は、突然終わってしまいました。
Gを介護しながら、いろんなことを思いました。
チビスケG、今年は年男でした。
2月3日の節分のとき、脳梗塞で動かなくなった手だけど豆まきしてもらおうって思ってました。
でも、してもらえませんでした。
その2月3日に、チビスケんちの小さなお庭に植えられた梅の木の花が一輪だけ咲きました。
Gがチビスケんちに来たのは去年の3月10日。
梅の花、一度も見てもらうこと、できませんでした。
一昨年の11月の末に自宅で転んだG。
その日から、立つことができなくなってしまいました。
入院中のGの病院に母を連れて行く道すがらに、銀杏並木があります。
黄色く紅葉した並木道を通りながら、通院する毎日でした。
昨年の秋、黄色くなった銀杏並木を見て、一年経ったんんだな~と思いました。
今年の秋、二年経ったんだな~とはもう思えないんですね。
去年のお正月は危篤となりました。
でも奇跡的に回復してくれたGでした。
無事退院し、今度は、週に一度Gに会いに来る母の送迎が始まりました。
銀杏並木のある道には、桜並木もあります。
満開の桜並木の下を通りながら、来年の桜はGにも見せてあげたいな~と思いました。
でも、それはかないませんでした。
良くなっては肺炎になり、危ないと言われては回復し・・・。
その繰り返しの中、だんだんに弱っていってたんだと思います。
3月頃には退院できそうだという目途が立った時、病院関係者の皆さんは揃って介護施設への入所を勧めました。
それでも、ワンニャンを保護できて、父親を保護できないっておかしいよね!というだけの理由でGをチビスケんちに迎えることを決めました。
この決断に、誰よりも驚いたのはチビスケ父でした。
だって、30年以上の長きにわたる父と娘の確執をずっと見てきた人ですから・・・。
でも、Gを迎えてよかったと思います。
長い長い間のGへのわだかまりが、この数か月でゆっくり消えていきました。
そしてGが逝ってしまった後、反抗期の頃の腹立ちや苛立ちではなく、反抗期なんてまだ知らない頃、どれほど自分が可愛がられたかということばかり思い出しました。
いろんなわだかまりがあったとしても、この世に生まれさせてくれただけで、なにもかも帳消しになっちゃうくらい親ってすごいんだって突然思いました。
Gを迎えなければ良かったと思うことがひとつだけあります。
Gが逝ってからの一週間、自分は見ないけどGが好きだからとつけていたテレビ番組に気づくたびに、ものすごく寂しくなりました。
先週の今日は、これを観てたのに・・・って。
Gがいる間していたことをしようとして、もうそれをする必要がないと気づくたびに、ものすごく寂しくなりました。
一緒に住んでいなければ、この思いはなかったのにな~と思うと、あのまま離れて暮らし、ずっと仲の悪いままでいたら、ちっとも悲しくなかったのに・・・と思いました。
Gは、最後の最後まで親だったんだな~と思います。
幼い私を守り、巣立ちを見守り、そして老いを伝え、これからの人生の過ごし方を考えさせてくれました。
棺を閉じるとき、「バイバイ。お父さん、またね。」と言いました。
いつの日かGとの再会が叶ったら、今度こそ、面と向かってありがとうって言わなくちゃって思います。
仲良し親子じゃなかったけど、最後の最後に、ありがとうって言えるようにしてくれたこと、本当に親だな~って思います。
去年の夏の一枚です。
元気になったら、車椅子であちこち行こうねって思ってたけど、
それができたのはこの一度だけ。
デイサービスのお迎えが来る前のほんの数分。
海が見える小道まで、チビスケ父に車椅子を押してもらって、ほんの数十メートル移動しただけでした。
私事ですが、預かりを続ける娘の家に迎えられたGのこと、やっぱり残しておきたいな~と思います。
またいつかGのこと、預かりっ子たちとの思い出と共に綴れたらいいな~と思います。
向こう10年くらい、そんな日々が続いて、自分の50代はGの介護に明け暮れる日々なんだろうな~と思っていました。
でも、そう思っていた生活は、突然終わってしまいました。
Gを介護しながら、いろんなことを思いました。
チビスケG、今年は年男でした。
2月3日の節分のとき、脳梗塞で動かなくなった手だけど豆まきしてもらおうって思ってました。
でも、してもらえませんでした。
その2月3日に、チビスケんちの小さなお庭に植えられた梅の木の花が一輪だけ咲きました。
Gがチビスケんちに来たのは去年の3月10日。
梅の花、一度も見てもらうこと、できませんでした。
一昨年の11月の末に自宅で転んだG。
その日から、立つことができなくなってしまいました。
入院中のGの病院に母を連れて行く道すがらに、銀杏並木があります。
黄色く紅葉した並木道を通りながら、通院する毎日でした。
昨年の秋、黄色くなった銀杏並木を見て、一年経ったんんだな~と思いました。
今年の秋、二年経ったんだな~とはもう思えないんですね。
去年のお正月は危篤となりました。
でも奇跡的に回復してくれたGでした。
無事退院し、今度は、週に一度Gに会いに来る母の送迎が始まりました。
銀杏並木のある道には、桜並木もあります。
満開の桜並木の下を通りながら、来年の桜はGにも見せてあげたいな~と思いました。
でも、それはかないませんでした。
良くなっては肺炎になり、危ないと言われては回復し・・・。
その繰り返しの中、だんだんに弱っていってたんだと思います。
3月頃には退院できそうだという目途が立った時、病院関係者の皆さんは揃って介護施設への入所を勧めました。
それでも、ワンニャンを保護できて、父親を保護できないっておかしいよね!というだけの理由でGをチビスケんちに迎えることを決めました。
この決断に、誰よりも驚いたのはチビスケ父でした。
だって、30年以上の長きにわたる父と娘の確執をずっと見てきた人ですから・・・。
でも、Gを迎えてよかったと思います。
長い長い間のGへのわだかまりが、この数か月でゆっくり消えていきました。
そしてGが逝ってしまった後、反抗期の頃の腹立ちや苛立ちではなく、反抗期なんてまだ知らない頃、どれほど自分が可愛がられたかということばかり思い出しました。
いろんなわだかまりがあったとしても、この世に生まれさせてくれただけで、なにもかも帳消しになっちゃうくらい親ってすごいんだって突然思いました。
Gを迎えなければ良かったと思うことがひとつだけあります。
Gが逝ってからの一週間、自分は見ないけどGが好きだからとつけていたテレビ番組に気づくたびに、ものすごく寂しくなりました。
先週の今日は、これを観てたのに・・・って。
Gがいる間していたことをしようとして、もうそれをする必要がないと気づくたびに、ものすごく寂しくなりました。
一緒に住んでいなければ、この思いはなかったのにな~と思うと、あのまま離れて暮らし、ずっと仲の悪いままでいたら、ちっとも悲しくなかったのに・・・と思いました。
Gは、最後の最後まで親だったんだな~と思います。
幼い私を守り、巣立ちを見守り、そして老いを伝え、これからの人生の過ごし方を考えさせてくれました。
棺を閉じるとき、「バイバイ。お父さん、またね。」と言いました。
いつの日かGとの再会が叶ったら、今度こそ、面と向かってありがとうって言わなくちゃって思います。
仲良し親子じゃなかったけど、最後の最後に、ありがとうって言えるようにしてくれたこと、本当に親だな~って思います。
去年の夏の一枚です。
それができたのはこの一度だけ。
デイサービスのお迎えが来る前のほんの数分。
海が見える小道まで、チビスケ父に車椅子を押してもらって、ほんの数十メートル移動しただけでした。
私事ですが、預かりを続ける娘の家に迎えられたGのこと、やっぱり残しておきたいな~と思います。
またいつかGのこと、預かりっ子たちとの思い出と共に綴れたらいいな~と思います。
スポンサーサイト